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はじめに
賃金差別は、女性やマイノリティーのみならず、多くの人々に影響を及ぼします。多くの調査で、同じ職務内容であっても、特定の層の平均賃金が同世代より低いことが示されてきました。例えば、PayScaleのデータレポート(2021年)によると、同じ職務内容、同じスキルを持つ者で比較した場合、女性は男性よりも収入が低くなっているのです。
キャリア過程で賃金差別を経験した求職者は、通常、将来何年にもわたって収入への影響を受けることになります。そして、求職者の給与履歴をもとに給与額を決定する雇用主は、そもそも自分たちが公正な給与を支給していると(多くの場合、間違って)思い込むことで、給与差別問題を永続させ続ける可能性があるのです。
賃金差別をなくすために、米国の多くの州では、雇用主が求職者に給与履歴または給与履歴に関連する情報を尋ねることを禁止する法律(Salary History Ban)を施行しています。2022年2月時点で、21の州、21の地方自治体レベルで禁止措置が実施されているのです。これに準拠するために、一部の企業は求人募集と採用の際の企業慣行を更新しています。なぜなら違反に対しては、多額のペナルティが発生する可能性があるためです。
日本では、「現在(または前職)の年収はいくらですか?」と企業側から面接の場で聞くことも珍しくありません。そのため、その慣行を海外進出先の現地雇用の場に持ち込みがちです。しかしながら、労働法コンプライアンスの視点から考えると、採用面接の場における企業側の質問や発言内容には十分な注意が必要です。悪気の有無に関わらず、内容によっては差別発言だと取られ、大きなペナルティーに繋がる可能性もあるのです。
本稿では、企業が応募者に過去や現在の給与を聞くのを禁止する法律について、その概要と具体的に企業が採用を行う際の注意点について解説します。米国での慣習、法規制に基づいて、雇用主として従う必要のある規制と手順を刷新する足がかりとしてください。
米国で広がる給与履歴照会禁止法(Salary History Ban)の概要
過去の収入である給与履歴には、賃金はもちろん受け取ったその他の福利厚生(ボーナス、有給休暇等)に関する詳細も含まれます。新しい雇用主としては、求職者の給与履歴を尋ねることで、想定している給与水準と比べて大きな差がないかを確認する意図があることでしょう。また、応募者の過去の年収額から、前の会社が応募者の能力をどう評価していたかを推測し、採用を検討する際の客観的な判断材料にすることがあります。
しかしながら、現在米国内の多くの州や地方自治体で求職者に対する給与履歴の質問を禁止する法律が施行されています。給与履歴の禁止を規定する法律の対象や禁止事項は様々です。たとえば、カリフォルニア州では州全体を対象としており、雇用主が求職者に給与履歴の開示を要求することを禁止しています。ただし、希望する給与範囲について求職者に質問することはできます。一方、ニューヨーク州では、求職者と現在の従業員の両方に対して、雇用主が給与履歴を要求することを禁止しており、希望の給与範囲についての質問も許可されません。
具体的には以下のような質問に注意する必要があります。
- 以前の仕事での給与について求職者に尋ねること
- 求職者の現在または以前の雇用主に給与履歴について尋ねること
- 求職者の現在または過去の同僚に給与履歴情報を尋ねること
- 受け取った給与履歴情報を利用して、求職者に提供する金額を決定すること
企業としては、各州や自治体の給与履歴照会禁止法に違反しないようにするために、自社に適用される給与履歴照会禁止法について詳細を確認する必要があります。給与履歴照会禁止法は概念としてもまだかなり新しく、今後の適用範囲や規制内容は常に変更される可能性が大きいことにも注意です。
次の項では、給与履歴照会禁止法を施行している州を紹介します。
給与履歴照会禁止法を施行している州
雇用主が求職者の現在または過去の給与について尋ねることを制限する連邦法はありませんが、州および地方自治体レベルでは複数の規制があります。現在、州全体の法律として規定されているのは22州であり、全米の約半数にも及ぶのです。以下では、給与履歴照会禁止法を施行している州の一覧と、その規定内容について紹介します。
州名 | 施行開始日 | コンプライアンスルール |
アラバマ | 2019年9月1日 | 雇用主は、給与履歴を提供しないことを理由に、応募者の面接、採用、または雇用を拒否することはできません。 |
カリフォルニア | 2018年1月1日 | すべての民間および公的雇用主が、求職者の給与履歴を調べることを禁止しています。たとえ雇用主がすでにその情報を持っていたり、応募者が自ら開示したとしても、それを給与決定に利用することはできません。また、この法律では、給与体系に関する情報を応募者が要求した場合、それを提供することを雇用主に義務付けています。 |
コロラド | 2021年1月1日 | 雇用主は、給与履歴について質問することはできず、また給与履歴に基づいて賃金を決定することもできません。給与経歴を開示しなかったことを理由に、求職者に対して差別的扱いを行うことも禁止されています。 |
コネチカット | 2019年1月1日 | 雇用主は、求職者から自発的に開示されない限り、給与履歴について質問することはできません。 |
デラウェア | 2017年12月14日 | 雇用主が、審査過程で給与履歴について質問することを禁じています。ただし、オファー後であれば給与履歴を求めることが可能です。 |
コロンビア特別区(DC) | 2017年11月17日 | オファー後に求職者側から提示される場合を除き、求職者に給与履歴について質問することを禁じています。対象となるのは政府機関のみです。 |
ハワイ | 2019年1月1日 | 雇用主は、求職者から自発的に提供されない限り、給与履歴について質問したり、その情報に基づいて賃金を決定することはできません。 |
イリノイ | 2019年9月月29日 | 雇用主は給与履歴について質問することはできませんが、希望給与について質問することはできます。 |
メイン | 2019年9月17日 | 雇用主は、オファーが行われるまで給与履歴につい質問することはできません。 |
メリーランド | 2020年10月1日 | 雇用主は質問することはできませんが、報酬のオファーが行われた後であれば、給与履歴を確認することができます。雇用主はまた、要請があれば、応募者に当該職位の給与範囲を提供しなければなりません。 |
マサチューセッツ | 2018年7月1日 | 雇用主は、オファーが行われる前に給与履歴を要求することはできません。 |
ネバダ | 2021年10月1日 | 雇用主は給与履歴を要求することはできず、また給与履歴を提供しない応募者の採用、面接、昇進、雇用を拒否することもできません。雇用主は、当該職位の面接を終えた応募者に対し、賃金または給与の範囲を提供しなければならず、昇進または転勤などの特定の場合には、賃金もしくは給与範囲を提供しなければなりません。応募者に雇用主が給与の希望額を尋ねることは可能です。 |
ニュージャージー | 2020年1月1日 | 雇用主は、給与履歴に基づいて応募者を選別したり、応募者に対し、特定の最低額または最高額を満たすために以前の給与を要求したりすることはできません。オファーが行われた後であれば、雇用主は給与履歴を確認できます。 |
ニューヨーク | 2020年1月6日 | 雇用主は給与履歴について質問することはできません。例外として、オファーがなされた時点で、応募者が、雇用主のオファーよりも高い給与を裏付ける給与履歴を提供することによってオファーに応じる場合にのみ、給与履歴を確認することができます。 |
ノースカロライナ | 2019年4月2日 | 州の機関は、給与履歴を要求したり、提供された履歴を利用して給与を設定したりすることはできません。 |
オレゴン | 2017年10月6日 | 雇用主は、オファーが行われるまで給与履歴について質問することはできず、給与を決定するために履歴を利用することはできません。 |
ペンシルベニア | 2018年9月4日 | 州の機関は、採用プロセスのどの時点でも、現在または以前の給与履歴について質問することはできません。求人募集を投稿する場合には、賃金表/範囲を示す必要があります。 |
ロードアイランド | 2023年1月1日 | 雇用主は、給与履歴を求めることはできず、選考や給与決定に給与履歴を利用することはできません。しかし、雇用のオファーがなされた後、最初のオファーで提示された給与よりも高い給与を提示するために、給与履歴を確認し、それに応じて最終オファーを決定することはできます。また、雇用主は当該職種の給与範囲を提供しなければなりません。 |
バーモント | 2018年7月1日 | 雇用主は給与履歴を要求することはできません。応募者から提供された場合、雇用主はオファーが行われた後にのみ確認することができます。 |
バージニア | 2019年7月1日 | 州のすべての求人募集から、給与履歴を要求する項目が削除されました。 |
ワシントン | 2019年6月28日 | 雇用主は、給与履歴を求めることはできません。ただし、応募者が自発的に開示した場合やオファーを出した場合には、その情報を確認することができます。 |
給与履歴照会禁止法を遵守する方法
給与履歴照会禁止法に準拠する上で最もシンプルなのは、応募、面接、および雇用プロセスから、求職者の給与履歴に関するやり取りを削除することです。具体的な対策としては以下の手順が挙げられます。
- すべての求人募集から給与情報リクエストを削除する
- すべての採用面接スクリプトから給与に関する質問を削除する
- 人事採用チームにトレーニングを行う
- 採用面接が実施される場所や、人事採用チームが頻繁に訪れる場所に、給与履歴照会禁止法について記載されたポスターを提示する
- 新規雇用者に対して、従業員の給与額がどのように決定されるかを文書化して提供する
- すべての文書化または電子化された規則を確認し、州の法律に合わせて更新する
給与履歴照会禁止法の違反に対する罰則
給与履歴照会の禁止に違反した場合の罰則は、州または地方自治体の法律によって異なります。現在のところ明確な罰則がない州もあれば、違反者に支払い、民事罰、さらには違法な理由で解雇された求職者の復職を課す州もあります。
例えば、サンフランシスコでは、雇用主は最初の違反について通知と警告を受け取ります。最初の違反から12か月以内に発生した2回目の違反については、最大100ドルが請求される可能性があり、2回目の違反から12ヶ月以内にさらに違反を犯した雇用主は、その後の違反に対して最大500ドルを支払う必要があります。
また、イリノイ州においては、雇用主は違反ごとに最大5,000ドルを支払う必要があります。裁判所が雇用主が悪意を持って行動したと判断した場合、雇用主に対して「特別損害賠償」として最大10,000ドルが課される可能性があります。
海外進出・海外展開への影響
給与履歴照会禁止法は、米国内でのひとつの時代の傾向です。この法律により、雇用主は求職者の過去の給与に関する情報を要求することができなくなります。雇用主としては、自分のビジネスに適用される特定の禁止事項を注意深く確認して、それに準拠した採用プロセスを確立する必要があります。
過去の給与は求職者の能力を客観的に分析するわかりやすい指標として長く利用されてきました。日本企業が海外進出先で、現地雇用を行う際にも良い目安となっていたことでしょう。しかしながら、今後は過去の給与額に関して言及することは法の遵守という点でリスクがあります。
雇用者としては、求職者の仕事を遂行する能力に焦点を合わせた新たな面接スクリプトを準備するなどの新しい対応が必要です。例えば、採用面接で、ケーススタディの質問をして、その場で思考プロセスをテストするなどの方法が考えられます。
日本企業にとって、日本にはない海外の法律に準拠した社内整備は難しい問題です。しかし、不要なトラブルやペナルティを回避するためにも、弁護士にリーガルチェックを依頼し、社内の慣行に問題がないか確認を取るようにしましょう。
ファースト&タンデムスプリント法律事務所では、弁護士によるご相談やリーガルチェックのご依頼をお受けしていますので、いつでもお問合せください。
※本稿の内容は、2022年6月現在の法令・情報等に基づいています。
本稿は一般的な情報提供であり、法的助言ではありません。正確な情報を掲載するよう努めておりますが、内容について保証するものではありません。
執筆者:弁護士小野智博
弁護士法人ファースト&タンデムスプリント法律事務所 代表弁護士
企業の海外展開支援を得意とし、日本語・英語の契約審査サービス「契約審査ダイレクト」を提供している。
また、ECビジネス・Web 通販事業の法務を強みとし、EC事業立上げ・利用規約等作成・規制対応・販売促進・越境ECなどを一貫して支援する「EC・通販法務サービス」を運営している。
著書「60分でわかる!ECビジネスのための法律 超入門」
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